サラリーマン羅針盤
普通に階段が登れない時代
好き嫌い 評価

好き嫌い 評価 は日本の武士社会の遺物でそうそうは変わらない!

こんにちは。

サラリーマンだけじゃなく、あらゆる仕事で常につきまとうのが、「評価」という問題。
徒弟制度に似た職場でも弟子には順番がついて、任せられる仕事の内容も違ってくる。

何年かするといやがうえでも順番、差異がついてくるのがこの社会の仕組み。
それで給料や役職、仕事の質も差がつく。

技能ならできるできないの具体的な判別がつくからまだいい。
営業もベースが販売額という量的な実態が見える。

一方で、事務職や企画職など、具体的な数値化が難しい仕事でははっきりとしたラインが見えにくい。

こうしたことから、実に6割を超える社員が評価に不満や疑問を持っているという。

さらに悪いことに、評価者である上司への信頼度もかなり低い。
特に、自分から見て劣っているとしか見えない同僚が高評価だったり、出世したりするとなおさらのこと。

最終的には、「評価なんて上司の好き嫌いで決まる」という風潮が蔓延することになる。

では、本当に「評価は好き嫌いで決まるものなのか」なのだが、答えは「イエスでもありノーでもある」。

その理由を見ていくとともに、会社での人生論や精神論、処世訓もかじってみよう。

人事異動 好き嫌い

人事異動が好き嫌いで行われることはあるのか?

もちろん「ある」。
・行き先の上司が呼んだ
・同じく相性の良さそうな人物として選ばれた
・推薦側がその人物を評価していた
理由は考えれば幾らでもある。
その一つひとつは見方を変えれば「組織を維持するためにごく当たり前のこと」だともいえる。

もし、自分が新たに誰かを受け入れるとしたら、
・有能さ
・清潔さ
・素直さ
こうしたものをまずベースにするのでは?

いくら優秀でも、波風ばかりたつような性格では困る。
何か不正でもされたらたまったものではない。
いちいち指示命令に反論されても仕事が滞ってしまう。

誰でもまず先に自分のこと、次に組織のことを優先して考えるもの。
それから先が仕事ができる社員に育てることという順番だ。

これは、どんなに頭でわかっていても、何度研修を受けてもなかなか変えがたい思考だ。

なぜなら、人間の脳は3層構造になっている。
・本能=爬虫類脳=3欲、なわばり意識など
・社会=サル脳=集団でのポジショニングなど
そして、最上層が人間だけが持つ「自己実現などの高度な願望」となる。

ところが、ほとんどの場合、無意識に働くのが最下層の本能部分。
これを知識と理性で常に適正化しておくように訓練するのだが、、、。

あなたの上司を見れば直ぐにそれが「いかに難しく無駄か」が理解できるだろう。

こういうなかなか克服しがたい理由もあって、現実的には「好き嫌い」が横行する。
困るのは、横行するだけでなく「それが当たり前、社会というもの」として正当化されることにある。

そうなると、評価や異動させられる方は「好かれる人物になる以外に方法はない」からだ。

好き嫌い で評価する上司

好き嫌いで評価する上司は「実在する」と断言できる。

特に、業績のみで成り上がってきたような親分肌の管理者に多い。
こうした人物は、劣等感をある方法で解決してきたからだ。
・可愛られた
・可愛がってくれる上司に隷属してきた
そのご褒美でいろりろ優遇されてきたという人生の経緯があるからだ。

このタイプが上司になると、いまどきの若者はかなりきついだろう。
・飲み会など付き合いが多くなる
・ほぼ非理論的で感情的
・命令型でyesマンを好んでしまう

結果が「好き嫌い」ということになる。

悪いことに、このタイプはそれまでの実績(営業成績など)が優れていることも多い。
お客様にも気に入られるタイプだからだ。

そなると、最後のギリギリの線で意見が通る(会社が譲歩して通してしまう)こともある。

それが「好き嫌いの評価、異動」として見えてしまうことにつながる。

上司は部下を選べるがその逆は無い。
運良くエリート君にでも当たれば理論的な評価を得ることも可能だが、それは運次第。

上司の好き嫌い 出世

上司の好き嫌いで評価が決まるだけでは済まされない。
評価の積み上げは最終的には「出世にも影響する」から話が重い。

まず、知らねばならないのは、評価の構造部分。
・一般職(総合職の下位職)
・役職前
こうした立ち位置なら評価はある程度正確性が担保される。

日本は、評価を二つに分けて考える傾向がある。
それは、武士の国ならではのもの。
・いっときの戦果は賞与で
・長らく使えた忠臣者には役職で
つまり、禄と名でそれぞれ功績を配分する仕組みだ。

まだ役職前の社員なら、業績の評価がウエイトが高い。
だから、販売成績など実際に数値で判別できるものが優先判断材料になる。

この場合、ボーナスで報いる方法になる。禄だ。

一方、評価が積み上がってそろそろ役職や上位のポジションに、、、というときに問題が起きる。

つまり、「忠臣者は誰か」ということになるからだ。

徳川家康は評価報奨の天才とされる。
手柄と忠義を見極めてしっかりとやった。

禄をもらったが、後年左遷されて石高を落とした、幽閉されたなどもよくあることだった。

これで天下を治めた。

会社の人事評価も似たような考え方になりがちだ。
会社は、「会社の望むような人材に育ってほしい」ので、昇格などの判断では適正という名の忠臣者が選ばれる。

これが「仕事ができないのになんであいつが」の一つの原因になる。

少し視線をずらしてみれば、その理由を垣間見ることができる。

昇格して役職に就くとなると、
・立場をわきまえて会議で暴れるな、異論ばかり唱えるな
・上司によく従え
・会社方針に逆らうな
こんな資質が求められるからだ。

もう一度、自分が管理者だとして、一体誰を昇進させてやりたいか?

これから、自分の右腕として働いてもらう(その分自分が楽できる=爬虫類脳)には誰が相応しいか!
わかっているけどこうした考え方が変えられない。

会社も会社で、「有能なトラブルメーカーより上手に立ち回れる人気者」が好都合なときもある。

会社は生き物だ。
好調で元気いっぱいのときもある。
絶不調で息絶え絶えのときもある。

そのときそのときで求められる人材や人物像も異なっている。

学生生活から会社員になったとき、それまでの「学問」に加えてもう一つある学問が必要だと知っていた者は幸いだ。
彼が出世する。
処世術だ。

ほとんどの学生は「これまでの経験でこの社会でちゃんとうまくやれるだろう」とたかをくくっている。
しかし、考えてみるがいい。
学生なんてただのお客様だ。
お金を払って通っている。

しかし社会はそうではない。
誰もが「自分や会社や組織の利益」のことを考えて表裏あってあたりまえの毎日をしのいでいる。

こうしたことは大学では習わない。
学歴が何であれ、社会人になったならこの点だけはスタートラインは同じ。

「なんでアイツが!」のアイツは、意外にもこのことをいち早く理解して行動してきたのかも知れない。

視線を替えれば、自分の自己評価は「世を渡るお勉強では最低点」なのかも知れない。

どうして

社長 好き嫌い 人事

さて、雲の上の殿上人の話になるが、役員クラスだとさらに「好き嫌い」が反映されることになる。

自分が社長だとして、これから会社をこうしたいと思っているのに、
・いつも反対する
・性格が違いどうにも馬が合わない
そんな人間と組むだろうか?

答えはノー。
だから、役員クラスまでくると「ほぼ忠義者からしか選ばれない人事」になる。

これが、中小企業になると、社長と社員の距離が近い分同じような傾向になりがちとなる。
その結果、「社長は好き嫌いで人事をする」という見え方になる。

これが日本式の評価結果であり、当面変わりようもない実態だ。

ならば、どうする?

ここからが、天下分け目の戦いの始まり。
不平不満をばら撒いても出口は無い。
それどころか、さらに評判を落としかねない。

賢者になるか愚者として落ちこぼれるか。
気づいたものだけが階段を上る分けれ道が誰にでもある。